2016年、3つの葬儀

2016年は近しい人の葬儀が2つあり、さして近しいわけではない人の葬儀が1つあり、あわせて3つの葬儀に参列した。

 

ひとりめは僕の姉の息子で、中学2,3年のときに急に心臓に病気が見つかり、そのときから彼の生活はがらがらっと大きく音を立てて変わった。崩れたと言っていい。

高校に入学してからも1年もせずに入院生活がはじまり、大変な手術などを受けつつ心臓移植の提供者があらわれるのを目標にして待つ日々。

心臓の人口補助装置を取り付ける大手術を乗り越えた後、なんとか退院して親のいる家に帰って来て数ヶ月後の、今年1月のことだった。

早朝から彼が激しい頭の痛みを訴え、病院に着いたころにはもう手遅れの段階だったそうだ。数日後、17歳の彼の生涯はそっと幕を閉じた。

彼の葬儀には夥しいといって言いほどの友だち、同級生、先輩や後輩が参列した。焼香の列は長い長い行列になった。彼の母親である僕の姉などは「どこの政財界の大物や」と言ってつらい気持ちの中でその光景をユーモアに表現した。

これほどまでにたくさんの子たちがなけなしのおこずかいから香典を出して葬儀に出席し、たくさん、悲しみ惜しんで、たくさん、泣く姿を見て、僕は甥っ子が想像していたよりもはるかに周りの人間から愛されたことを改めて知り、彼に対する尊敬の念を抱かざるをえなかった。

彼がまだ小学生低学年のころ、「にぃに、にぃに」と言って寄って来て一緒に遊んだ光景が幾多も脳裏を過ぎる。大きくなってからも誰に対してもあの小さな子どものときのような表情で話しかけていたのだろうか。

 

ふたりめは僕の妻の母親で、亡くなる前日まで本当に元気だった。82歳と高齢ではあったが、お医者さんから「100歳まで生きるよ」と言われていたりして、健康面での心配はさほど無く元気に毎日過ごしていた。

それが、暑かった7月のある日の晩、妻が電話をかけても通じないことがあった。義母が電話に出ない(出られない)ことはままあることなので、多少の心配をしつつもその晩は夫婦ふたりともいつものように就寝した。

翌朝妻が義母に念のため電話を鳴らしたが出なかった。心配になった妻とふたりで義母の家へ様子を見に行くが家にはいない。あたりを探し回るうちに、裏山で義母が倒れているのを妻が発見した。

救急車を呼ぶもすでに命はなく、ほどなくして近くの親戚も集まってきて通夜葬儀をどうするかの話になった。

遠方で生活する妻の弟が長男で喪主となる。義弟としてはもう都会で独立して生活しているから、多くの親戚を含めた実家周辺との付き合いは最小限にしていきたい。

ということで家族葬用の小さな会場で葬儀をすることになった。

妻の弟は遠方であるし、仕事もすぐには抜け出せず代理で僕と僕の妻が葬儀屋と打ち合わせをした。会場が小さいことからあまりたくさん人は呼べなかったが、親戚の人の中には誰それは絶対呼ばないといけないだとか、お弁当の数がどうだこうだと言う人もいた。妻の弟が帰ってきてからもまだ葬儀のやり方に注文を出す人がいた。

ゆっくり義母の思い出を語りあったのは、葬儀が終わって落ち着いて、家で弟家族と僕たち夫婦だけで夕飯を食べたときが最初だったように記憶している。

 

そして11月末、市内を走っていると葬儀屋がたてた葬儀の告知の看板が目についた。妻がその名前を見ると、どうも妻の親戚の人らしい。僕たちに知らせは来ていなかった。

喪主にあたる妻の親戚の男性には、義母の葬儀のときに高額の香典をいただいたことなどもあり、呼ばれてはいなかったが通夜にお邪魔した。

それなりの広さの会場に、空席が目立った。というか、空席のほうが圧倒的に多かった。

なんでも亡くなった方(喪主のお母さん)は89歳で晩年の6年間は痴呆で息子のことも誰だかよくわかっていなかったらしい。

こんなことを言っては大変失礼だが、なんだかさみしい葬儀だった。

喪主の男性だけが時折頬を紅潮させ、大きな感情の波と向き合っているように見えた。

他の人は、あまり悲しそうでもないように見えた。

 

1年間の間にたてつづけに3つの葬儀に、いろいろな立ち位置で出席した。

これからは誰かの葬儀に出ることが徐々に多くなっていくのかもしれない。

そして何十年経ったある日、僕の葬儀や、妻の葬儀がどんなものになるか。今はまだまったく想像すらできない。

趣味がもうひとつほしい

40才になった今、おおよそ趣味が2つに絞られてきた。ひとつが野球、ひとつが配信である。

野球は、プレイするのではなく観戦の方で、小学校4年生か5年生くらいの頃から中日ドラゴンズのファンで、テレビ中継をしていれば大抵チャンネルを合わせている。特に熱心に観戦するわけでもなく、ネットサーフィンをしながらぼんやり眺める感じの場合が多い。プロ野球人気の低迷が巷で囁かれ続けているものの、東海地方に住んでいるとナゴヤドームで行われる中日主催の試合は結構テレビ中継が放送されている。テレビでやっていないときはradikoでラジオ中継を聞いていることが多い。
野球であるからして、試合を観る聞くが中心になるのではあるが、付随して行うことがらも多い。スポーツ新聞のネット記事は欠かさずというくらい読むし、エキサイトベースボールというサイトでその年の個人成績を眺めたりする。打率だとか、誰が何勝何敗しているだとか。あと、特に今年になってから増えたのだけれど、中日ドラゴンズの球団グッズもよく購入している。部屋の壁には買い集めた各年代のユニフォームが7着も飾ってあるし、帽子、タオル、果てはクリアファイルやキーホルダー、爪切りに至るまで中日ドラゴンズのグッズを買っている。

もうひとつの趣味が配信。配信と聞いてピンと来ない人でも、もしかしたら「ニコ生」だとか「YouTuber(ユーチューバー)」だとかいう単語は聞いたことがあるかもしれない。
主にテレビゲームをしているそのテレビ画面をパソコンに取り込んで、集まったリスナーに見てもらう。テレビゲームの画面と音声にくわえて、パソコンに繋いだマイクを通してしゃべる声を配信し、見ているリスナーはそれに対してレスと呼ばれる書き込みを行う。書き込まれたレスはVOICEROIDで音声読み上げされ、そのレスに対してさらに自分がリアルタイムで反応する。コールアンドレスポンスと言えるかもしれないものだけれど、こればかりは実際に配信を見るなりなんなりしないと想像できないかもしれない。
単純に図式化すると、ゲームをクリアする→僕「やったー」→リスナー「おめでとう」→僕「ありがとう」みたいなやりとりを延々と繰り返すわけだけど、プレイしているゲームとは全く無関係の雑談ばかりしていることも多い。
この配信と呼ばれる行為を、2008年の年末からはじめて、結婚するまではそれこそ毎日のように数時間ずつやっていたりして、結婚したあとはさすがに妻がいる前ではやらないものの、週末にきっかりと妻が実家に帰っていたおかげで金曜日の夜と土曜日の午前中は欠かさずに配信していた。ごく最近は妻が週末に実家に帰らず家で過ごすことがあるため、毎週末配信するというわけにはいかなくなってきたけれど。
そんでもって、配信でするためのゲーム機やゲームソフトだったりを購入したり、そもそも配信で行うゲームを選ぶ作業や、どんな書き込みがあったかを振り返って見てみることなんかも含めての趣味だったりする。

長々と説明したけれど、この2つに趣味が絞られてきた。そして、この2つの趣味だけでは余暇が「もたなく」なってきた。
以前には読書やら映画鑑賞やら将棋やらブログ(ホームページ)にも多くの時間と多少のお金を使っていたのだけれど、ここ何年かは興味があまり持てなくなってきた。

と、いうわけでなにかもうひとつ趣味がほしい。

候補として頭にあるのは、スポーツ系の体を動かす趣味がやりたい。インドアな趣味ばかりだったので、体を動かしたい。ただスポーツとなると一人で完結するのが難しく、ハードルが高い。妻が健康のために歩くのが趣味なので、毎日30分くらい妻に付き添って歩いたりはしているけど、あまり能動的な感じでもない。

他の候補としてはトレーディングカードゲームにも興味がある。もともとプロ野球カードとかを集めるのが好きだったし、自分と相性の良い趣味だと思う。ベースボールヒーローズというゲームセンターのゲームと連動したプロ野球トレーディングカードゲームがあって興味もあったのだけれど、今住んでいるところの近くにそもそもゲームセンターが無い。調べたら去年くらいにゲームが終了していた。あとガンダムトレーディングカードゲームでゲームセンターで遊べるものもあって、やってみたかったんだけど、これも同じくゲーセン自体が気軽に行ける距離に無いからダメなのである。
マジックザギャザリングだとか遊戯王だとかが世間的にはメジャーどころらしいのだけれど、いまいち世界観的に入って行けない感じがする。

一応、ミニチュアフィギュアを集めるのも好きで趣味のひとつと言えるのだけれど、集めているのが中日の選手を中心とした野球選手のフィギュアか、ゲームのキャラクターのフィギュアなので、これは野球と配信(ゲーム配信)に含まれているような気もする。もうそろそろ部屋に飾るスペースも無いのでこれ以上増やせないという事情も出て来たところ。

なにか良い趣味はないかなあと思いつつ、とりあえずkindleで買える読みやすいエッセイを今から探して余暇をつぶすこととする。

書くことと生きること

誕生日おめでとう!

「書くこと」について書いてメールを送ると言ったけど、うーん、えっと、実はそんなに頭のなかにクリアに「言いたいこと」がまとまってあるわけじゃないんよな。バラバラなイメージの断片が頭に浮かんでは消えてするだけで。

とりあえず、思いついたことをいくつか羅列します。
村上春樹のどれかのエッセイで「どのように書くかはどのように生きるかとほぼ同じだ」みたいな文章があって、その同じエッセイの中で「若いうちに書きすぎるのは良くない。人生経験がともなわないから誰かのコピーでうわべの文章技術だけがこなれてしまう」みたいなことも書いてあって。

あと、これは別のエッセイやと思うけど、「新しい小説を書こうなんて考えるより、良い小説を書こうと意識したほうがよっぽど良い」みたいなことも書いてあったんさ。
それを思い出して俺が「これが言いたい」ってのが、何かあるわけじゃないんやけど。

でも日常生活で考えても、言葉を巧みに使って流暢にすらすらと話す人よりも、朴訥だけど、言葉数は少ないけれど、正直に自分の言葉で話す人の方が言葉に重みがあったりするよな?

あとはなにがあったかなー。

えーっと、あと、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」は全編「小説を書くことについて」が書いてあるような本やけど、その冒頭が『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。と、学生時代に出会ったある作家が僕に向かってこう言った。僕はそれをある種のなぐさめとして捉えることができた。完璧な文章など存在しない』って感じで細かい部分は違うけど、考えれば考えるほどこの書き出しは「深いなー」と思ったり。あと、「誰かと違うことを語りたかったら誰かと違う言葉を使うしかない」とかそんなことも書いてあったはず。

正確な表現は全く思い出せないし、軽くぐぐってもヒットしなかったけど女性の年輩の作家(?)の言葉で「小説をある一定数読んでいない人の書いた小説はどれもよく似ている」みたいなのもあった。

まー、やっぱりまとまりが付かなかった。思ってたよりだいぶ長文になってしもた。
このメールを書きながら思ったけど、最近自分のブログを更新してなかったから、このメールを名前を伏せてブログに公開してもいいよな?
返信は急がなくていいし、しなくても構わないよ。

誕生日おめでとう。物書きの仕事がんばって。

所蔵していた村上春樹を全てブックオフで処分したこと。そして僕が村上春樹から学んだ最大のこと。

僕はいまちょうど40歳で、はじめて村上春樹の本を買って読んだのは中学1年生のときでした。今からうん十年前のことです。

 

最初に読んだのは、たしか糸井重里との共著「夢で逢いましょう」か「カンガルー日和」だったんじゃないかと思う。短編から読みはじめた。まだ、長い小説を読むということに慣れていなかったこともあるし。

そして数冊目に処女作『風の歌を聴け』を読んだ。読み終わったあと、びっくりというかなんというか、少し驚いた。その小説にはストーリーという程のストーリーがなかった。これは僕のなんとかノートだとか書いてあった。小説を読んでみたら筋が無かったのは全くはじめての体験だった。

 

読了後しばらくして、この本のことが気になりだしたので、もう一度読み返してみた。1回目に読んだ時より面白かった。次に、もう一回読んだ。さらにまた面白くなった。

そのようにして村上春樹、村上作品にハマっていき、高校の入学調書の「尊敬する人」の蘭には「村上春樹」と書いた。それをたまたま見かけた姉が「あんたアホか。そこは両親って書くための欄や」と言っていた。

そして、大学進学、就職、なんやかんやのトラブルがあり、いまは結婚もして、子供はいないけど妻と二人でおだやかに幸せに暮らしている。その間村上春樹の作品を読んで、いろいろと教唆のようなものを受け続けてきた。

 

話は急に飛ぶけど、先日、所蔵していた村上春樹を全てダンボール箱に詰めてブックオフに持って行って処分した。買取価格は451円だった。二十数年かけてコツコツと貯めてきた僕の村上春樹コレクションにはそういう値段がついた。

でも、後悔などは一切していない。いらなかったから処分したのだ。一言で言い切るならば、僕にはもう村上春樹が必要ではなくなった。

もちろん村上春樹氏にはこれからも精力的に作家活動を続けていってもらい、ゆくゆくはノーベル文学賞もちゃんと受賞してほしいと思っています。個人的にすごく応援しています。それは昔からちっとも変わっていません。

ただ、もう僕には氏の作品群、氏の文章は必要ではなくなったのです。

 

当たり前だけど、氏の人生と僕の人生は全くの別ものであるし、若いときに生きていくうえで、苦しんだり悩んだりしたときに本当に氏の文章に勇気づけられ、指針をもらい、それを糧に生きてきたつもりです。

ただ、もう40歳にもなったことだし、小さいながら家庭もある。

これからは、本当の意味で自分の頭で考え、自分の力で生きていかなくてはならない。守るべき妻もいる。

手狭になった部屋のスペースを空ける意味と、青春への決別の思いとで、僕は自分の個人的な村上春樹コレクションを処分しました。

 

僕が村上春樹氏の作品を通じて学んだことの最大のものは、『誰に対しても、人に対しても自分自身に対しても常に誠実であり続けること』でした。

 

勝手に感謝などされても春樹さんも困るかもしれないけど、いままで本当に、ありがとうございました。あなたの文章を読んでいなければ、僕はここには立っていなかったです。いま、妻と二人で幸せにやっています。

みんなが本当に欲しいものはお金ではなく、お金のその先にあるという話

今日は、語ります。お金について語ります。

 

よく欲しいものは何かっていうときに、まあ、お金が欲しいなあとか言うじゃないですか。ごく普通に。でも、お金が欲しいっていうのは、言わずもがなで当たり前のことかもしれませんが、物理的なお金が欲しいってわけではないですよね。だって、紙キレと小さな金属なんて使い道がありませんから。

と、いうことは、みんなお金が欲しいとよく言うのは、お金のその先にあるものが欲しいということですよね。つまりお金があれば手に入るもの、もしくはお金を持っていればいつかきっと役に立つ使い方。そういうものが欲しいってことだと思うんです。

じゃあ、実際にお金があって持っていれば、具体的には何が欲しいのか。何がしたいのか。

当然ですが、それは個人個人によって違う、まさに千差万別だとしか言いようがありません。だってお金があればお金で買えるものならば何でも買えるんですから。お金お金って連呼してなんだかちょっと下品ですが…。

まあ、でも、でもですよ?人がお金が欲しいという場合、もし何か具体的にこれが欲しいだとか手に入れたいだとか体験したいものだとかがあったりしたら、お金が欲しいとは言いませんよね。だって、家が欲しければ家が欲しいって言うはずなんだから。

 

それならば、なぜ「お金が欲しい」と人は言うのでしょう。自分は言ってしまうのでしょう。

 

それは、みんな別にきれいな絵柄の透かしの入った紙キレが欲しいわけじゃなくて、ただ、いつでも好きなときにほぼ世の中のものが大抵何でも買える自由だとか選択権、一言で言えば権力みたいなものが欲しかったり、将来どんなことがあっても大丈夫だという安心感が欲しかったり、きっとそういうものが欲しいんだって思います。

 

でも、なかなか人に「何が欲しい」って聞かれて、「自由」とか「力が欲しい」とか「安心感が…」とは言いにくいですもんね。それに、自分でも本当に自分が欲しいものなんて、なかなかわかりませんものね。

 

当たり前すぎてわざわざ書いて残すほどのものでもないかなーと思いもしましたが、今日はお金について語ってみました。

女子高生でもないのに言葉を略すなみっともない

ごくごく普通の人が日常会話で言葉を略すのが嫌い。虫唾が走るとまでは言わないけど、ゾワゾワする。

例としては、上司が使う「ドロップボックス」→「ドロップ」、姉が使う「ツイキャス」→「キャス」などなど。

あと伊勢市民がよく言う「ララパーク」→「ララ」なども嫌い。

ウィキペディア」を「ウィキ」と言ったりするのは意味合いが違ってくるのでそもそもアレだけど、「ドロップボックス」ぐらい略さずに言えよ。なんだよ「ドロップ」って。飴か。